「物理学に生きて」

物理学に生きて―巨人たちが語る思索のあゆみ (ちくま学芸文庫)

物理学に生きて―巨人たちが語る思索のあゆみ (ちくま学芸文庫)

これは面白い。

といってもまだ途中なので、ひとまずメモ。


理論物理学者が扱う方法には、大きく分けて二つありそうです。ひとつは実験に立脚して仕事を進める方法です。
そのためには実験物理学者たちと密接な関係を保たなければなりません。実験物理学者たちが得た結果にはすべて目を通し、そのデータを包括的で納得のいく枠組みに組み込もうとするのです。
もうひとつは、数学に立脚して仕事を進める方法です。そのためには既存の理論をよく吟味し、欠陥を探すことになります。既存の理論の悪いところを突き止めて、それを取り除こうとするのです。このとき難しいのは、その理論の成功している部分を壊すことなく、悪いところだけを取り除くことです。

ほとんど何もわかっていない物理学の領域で、間違っていることがほぼ確実であるような思弁憶測にふけりたくなければ、実験という基礎から離れてはいけません。


換言すれば、帰納法演繹法の使い分けについて。カントも同じようなことを言ってる。

物理学に限らず重要なことだ。


ちなみに、ハイゼンブルグの行列力学は前者の方法で、シュレーディンガー波動力学は後者の方法で組み上げられたらしい。



また後で書き加える。

秀才は「腐った奴」―――か?

J-CASTニュース : 「ごくせんは不良を讃えるな」 和田秀樹さんがコラムで異論


たぶん、秀才にも不良にも、「腐った奴」は同程度の割合でいるんだと思う。

ただ、腐った秀才っていうのは世の中に害を撒き散らしやすい(悪徳弁護士とか天下り官僚とか)、対して腐った不良は―――可哀想なことに―――害を撒き散らす能力すらない。だから、観測される「腐った奴」のうち秀才の占める割合が高くなる。

さらには秀才になれなかった人たちの妬み僻みやっかみも後押しして、「秀才=腐った奴」って図式が出来上がってるんじゃないかな。



しかし、この手の議論はホントに難しいなぁ。秀才側も不良側も、結局自己肯定的なロジックに陥っちゃうんだよな。

エロゲ規制問題について

「美少女ゲーム・アニメをする人は心を破壊され、人間性を失っているので規制すべき」と主張するトンデモ請願が参議院に - GIGAZINENEW!

痛いニュース(ノ∀`):「美少女ゲーム(エロゲ)・アニメは、人間性を破壊し少女殺害事件につながる。販売規制を」…民主党女性議員が請願


僕自身は規制に対しては慎重派だけど、

世間一般の人(特に娘を持つ親御さん)から見たら、科学的根拠とか表現の自由とか、どうでもいいから規制してくれ、キメェよっていうのが本音じゃないかな。


ま、短絡的なことには変わりないけど。

天才たちの苦悩。

Rails で行こう! - Ruby on Rails を学ぶ 「自分のまわりはアホばかり」症候群


僕自身は「中高一貫校に高校から入った人間」だけど、

僕個人の偏った印象に基づいて言わせてもらえば、中学から上がってきた(すなわち中学受験で入った)連中は、「どこか諦めてる」感じだった。


きっと、中学に入り、神童と呼ばれていた小学校時代との差に苦悩し、絶望し、

かといって、なまじ頭が良くてメタ認知能力に長けてるために、スポーツや芸術の分野の才能も自分にはないこともわかっちゃって。


その壁にぶち当たったときにとる対応は人それぞれ。

退学したり自殺したり寺に入ったり留学(という名の海外逃亡)したり通常のルートからドロップアウトする人、自分がナンバーワンになれるフィールドを探す人、

そしてid:elm200氏のように、自分が「凡人」*1であることを受け入れる人。



いずれにしても、泥沼の中でもがくような苦しみなんだろうな。



レベルの高い集団に入って自信喪失するのと低い集団に入って井の中の蛙になるのと、どっちがいいんだろう?

*1:といっても僕から見ればとてもとても優秀な人

言葉(46)

「社会の資料集に載ってる、弥生時代の白骨死体の写真を見たことある?

どんな奴だったのかな?ねえ?

2000年前には、アレの周りに肉が付いてて、血が流れてて、歩いたり喋ったり、笑ったり泣いたりしてたんだよ。

母親の子宮から産まれて、大きくなって、畑耕して、

太陽が地球の周りを回ってると信じて、いやそもそも太陽を神様みたいに思ってて、

誰かと一緒になって、セックスして、子供ができて、

そして30歳で死んで埋められた。2000年後に掘り起こされるなんて考えもせずに。


すごいと思わない?ねえ、すごいと思わない?」

 ―――友人の言葉

ウェブ上には特に意味のない文章があふれている

昔の僕は、「文章には常に何か“意味”“意図”が込められている。」って信じていたけど、

ウェブ上には特に意味のない、意味の感じられない文章があふれている。ように思う。

これは結局、ブログはただの「表現のツール」ではなく、

王様の耳はロバの耳だと叫ぶための「穴」のような面を持っているからなのかな。

(ブログのタイトルに「ひとりごと」「つぶやき」といった言葉が多く使われているのも、こういう理由からだろう。)